昭和50年10月10日 月次祭 入力者松本正宏
今日十月十日は御本部で教主様御祭主の下に、教祖大祭。生神金光大神祭りが行われております。それを中心にして、四日七日十日。そして私共は十三日におかげを頂くわけですけれども、大体は十月十日が本命の日なのです。生神金光大神がご生前から金光大神永世の祭り日としてご先祖の祭りとご自分を祭られる金光大神祭りを奉仕され、それが、不思議というか神乍というかやはりお国替えも十二月の十日の日にお国替えになっております。そういう大変ありがたい日でありますが、金光大神様が我ながら喜んで我が心を祀ると言われる程しの心の状態というものはどういうものであろうか。また、どういうような心が段々進んでいったらそのような心になれるのだろうか。とまあ思うのでございます。
私は最近霊神様のお礼を申させてもらう時に今までかつて味わったことのないありがたさにひたらせて頂くのです。というのは、今までは霊神様にお礼をするという事もですけれども。お願いをするという、御霊ながらの働きというものがこの世でもなされるんだと思いこんでいたからです。ところがこの御霊ながらの働きというのは、御霊乍の働きであって、御霊の世界での働きであって、いわばこの世で私共が、様々な幸不幸の人がございますように、それぞれの、働きを致しておりますように、これはこの世にある、生き長らえておるこの世に生を受けておる働きが様々でありますように、それは、力の度合がその働きに現れて参りますように、御霊ながらの働きというのは、御霊の世界での権限、御霊の世界での働き、でありまして、子供が孫が例えば難儀をしておるから、手伝ってやろうというわけにはいかんと。御霊に願うという事は丁度、死んだものを舞台にこう引きずってきて、さあ、踊れというようなものだと頂いて此の方、私は御霊様へのお礼の思いというか気持ちというものがいよいよ募るばかりでございます。本当にご先祖あって今日の私があると思うただけでも本当に深く深くお礼を感謝の心を捧げなければなりません。ましてや、信心の手続きでありますところの、三井教会、久留米教会、そして福岡教会。そして、小倉の教会というようにです、先覚先代の先生方が、ね、命がけで布教をしてくださりその布教の中に私共も救い取り次ぎ助け、今日の大坪がありますのですから、また、合楽に御神縁を頂いて、今日このようにおかげを受けておられるということもとりもなおさず、初代、または先覚諸師のお働きをご信心を残しておって下さったおかげなのでございますからもう、これも一重に篤くお礼を申し上げるほかにない。ただお礼を申し上げる他にない。御祈念もまた、お供えもただ、その印が、現れが拍手を打つ事になり、その、印が神酒御饌くさぐさのものを霊前に供えてのお供えということになったのです。
ね。そして、思わせて頂く事はお礼と言う事は感謝と言う事が、このようにもあり難いものであろうかと最近御霊前でその事を一塩に感じるようになりましたが、皆さんはどういうことでございましょうか。私は御霊様には願うちゃならん。ただ、感謝の意を捧げるだけなんだ。ご先祖様には篤く篤くお礼を申し上げるだけなんだ。
その例えば奉仕をさせて頂くのだ。御霊舎のお掃除をさせて頂くのもお掃除をさせて頂くのも、いっぱいのお水を奉らせて頂くでも、ただ、お礼の印がそうなのだ。それは丁度、え、孔子が親に対してそうしなければおられないものが、そうなっておるのでございます。この親から何かもらわんならんから、願わんならんから、ね、水をお供えしようお茶をお供えしようとは、全然違ってきたです。そういう汚い心であったとは思いませんけれどもです、結局、やはりそういう中身に、ね、願い、ね、御霊様が助かって御霊様に喜んでもろうて、そして、御霊の働きをまた頂かんならんからといったようなものが、さらさら無くなったと言うことがです、純粋なありがたさというものを私の心に感じる事が出来るようになったと思うのです。私は金光大神祭りというのはそういう心の状態、ただただ天地に対する御礼以外にない、その感謝の心が、そのまま、わが心でおありになったであろう。そのまま、人が助かることが出きればという信心姿勢を打ち出されたのであろう。ね。その神恩報謝の心が日々の限りないご奉仕であったと言うふうに思うのです。
ですから、私共はどうでもやはり、お礼の御本部参拝、本当にお礼のお祭りが、やむにやまれんという事になっておお参りにならなければならないと思います。
教祖様の御大祭を御本部で頂いて、そのごひれいを受けて合楽でも十六日にその御大祭を十六日にその御大祭が執り行われるのですけれども、もう、ただただ例えば夏の御大祭が祈願祭とこう銘打ってこの祈願のこのお祭りでありますように、教祖金光大神祭、教祖大祭はどこまでも、一つお礼のお祭りに絞らせて頂かなければならんのですけれども、それが形に終わったのでは出来んのです。そこに、信心の難しさ、またはあり難さがあるわけです。あり難いというてもこの位あり難いと思うておる。クーとする位にあり難いと思うておるのですから、限りがないのです。その限りないあり難いというものをです、ね、心に頂き感じさせて頂いて、その、現れが教祖大祭御本部大祭、御本部お参りというようなことになってこなければならない。
そこで私共の祈りなのですけれども、ね、御霊様へ向かっては最近、ただ今申しましたようにただ、お礼以外にないと言う事が私の心の中に広がっていくばかりである。ところが御神前に額ずかせて頂きますと、勿論お礼も去る事ながらお詫びをしなければなら無い事。または、止むに止まれない願わねばおられないことがもういっぱいでございます。ね。願うてならんと言われるわけではございません。その願わなければおられないお礼を申し上げねばおられないというのがです、それは丁度車の両輪のようにです、願う事もさることながらお礼もを申し上げることもまた、それに劣らぬお礼の心というものが、伴うていっておりませんと、おかげを頂いておる信心とは言えんのでございます。
その、お礼というのが、ただ、おかげを受けてありがたしと。先日から、日田の伊藤さんという方が熱心にお参りをされております。日田の教会に御神縁を頂いておられた。二十年此の方教会に浸りきりのようにして泊まり込みで御用を頂かれるというほどしに熱心な信心であった。それが何の事からであったでしょうか、私そこは失念致しておりますけれども、合楽に、おかげを頂かれて、御理解を頂かれ、御理解のあり難さにしげしげとお参りされるようになった。そして心に今まで二十年間願い続けた、思い続けた信心がこれは合楽で開花するようになった。ね。これは、本当の信心をいよいよ合楽によらなければいけないという思いが出来てきたときにです、今までお世話になった教会、親先生に向かってお取次を願われた。先生実は先日から、合楽教会にね、おかげを何かのことからかおかげを頂きました。そして次々と頂くその御教えがね、私を合楽の御教えのとりこにしてしまいました。(?)してはそれません。暫く合楽教会にお参りをさせてもらい信心の稽古をさせてもらいますから、どうぞ宜しくというお取次を願われて合楽にお参りをするようになりました。おかげを受けます。縁についておられる娘さん達もお参りされるが、今伊藤さんです。ね。いや井出さん。熱心に参ってみえます。
あの、霊祭の時に、お父さんの御霊様が、ね、大体は二十四日が丁度、彼岸の中日でした。二十四日が本当だけれども一日早く合楽に参ってくれと御霊様が言われた。その事をこれは御霊様が言われたのじゃない。天地の親神様が親の御霊を使うてそういう働きがあったのだと。仕事を休んでお参りをすると言うておられたが、仕事を休んでお参りをされて、以来、ご主人が日曜たんびにお参りをしてくるようになりました。そういうような働きがあっておるお家なんです。先日からも、東京で、の大学に行っておられる息子さんがただ今論文に取り組んで一生懸命がんばっておる。先日から手紙が参りました。ね。神様にも御願いをしてくれてあるだろう。また自分も御願いをしておるけれども、どうしも思い通りになる論文が書けない。ね。そこで神様に御願いをしてくれ。もし私がこの論文が今年成就しなかったら私は生きて日田には帰られんという手紙がきた。もう親としてね子供が死ぬとか生きるとかというほどきくものはないようですね。
またこのくらい親不孝な言葉はないですよ。ね。もう、ね、ちょっと帰りが遅かともうあれが、また、いらん事考えておらんじゃろうかと思うのですよ。やはり。やっぱ、あの、井手さんのところの息子さんもこたぶんにもれる、そういう深刻な手紙をよこされた。そこですぐお取次を頂かれてのことでしたが、今度、論文がとおるとおるという事は、これはもう枯れ木に花が咲くようなものじゃ。そこで、枯れ木に花が咲くようなおかげを頂く為には、一家が揃うていうならば、花咲か爺さんじゃないけれども、枯れ木に花が咲くようなおかげを頂いたその前提としてはです、臼を割られても犬を殺されても、不平も言わなかった不足も言わなかったというように、どういうことがあっても腹を立ててはならんこの辛抱が、ね、この信心辛抱が枯れ木に花が咲くようなおかげにもなろうから、まあ一家を揃えて信心を頂くようにという御理解であった。
帰られてお爺さんは信心はないけれども、非常に気短な方。孫でも怒るだけではなくて、孫でも叩かれるというくらい気が短かかった。お父さん今日合楽に参ったら先生からこういう御理解を頂いた。これはどうでも子供のことは親が願わなければならんのですから、親が改まって願わにゃならんという事ですから、一つお爺さんあなたも信心してくださいというて御願いをされた。それに対しては返事のへの字も無かった。ところがそのお爺さんのその事からです、もうとにかく、腹を立てる、怒られるという顔を見た事がないというように変わられた。もうそれこそ、主人がこんなに豊に心いわば、気長になったという御礼がまず、ございました。ね。子供のそれこそ、もし、論文が成就しないならば、ね、もう生きて日田には帰られんといういうような事を聞いて親が、いうなら一心発起されたわけでございます。ところが四五日前突然の息子さんが帰って参りました。それはおかげで論文が通った。もう大変な喜びで、それこそ天にも昇るような思いで合楽教会にお礼参拝に帰ってきたというて帰ってきた。お母さんと一緒にお礼参拝をしてみえた。すると、先生不思議なことがございました。東京で。もう今までどうにも書けなかったものがそれこそね、もう本当にねすらすらすらすらと書けるそのありがたさというものは、もう、例えようの無いありがたさでした。この人はこういうありがたさに時々触れておる。この夏休みに帰った時もそうでした。全然信心が無いけれども、今お母さんこうやって合楽に参らせてもろうて、素晴らしい御教え、ご理解を頂かせてもろうて、最近は合楽のとりこになったようにお参りをさせて頂いておるが、一遍若いあんた達でも分かると思うから、一遍参れというて、無理に連れて参ったのが、夏休みでした。それからしげしげと何回か参ってきました。
そして、夏休みの半場に東京に帰る、そして帰る、四国に廻って帰るというお届けでございましたら、その時に御神米と共に、日々が信心実習だけれども、今度の例えば帰りに寄り道をして行くと言うことはいよいよ持って、信心の研修であって、信心を実習するのだという御理解を頂いて四国に行った。友達から、早速海釣りに誘われた。海が沖に出た途端に酔いだした。それから御神米を頂き、生神金光大神様天地金乃神様とこう思うのだけれども、どうしてもその、もう、帰ってくれという位にその吐き気がする。ね。そこでですね、うちの母が言うておることを親先生という事。親先生というて船べりに手をかけて一生懸命親先生と言うた途端でした。もう、さしもの例えば苦しみが無くなって一日楽しく釣りをさせて頂いたと。それから帰りにまた、どっかドライブに連れていってもらって、丁度山並みハイウエーのようなところでしょうね。自分が運転したばっかりにその時というておりましたが、自分が運転したばっかりに居眠りをした。そして、ガード、あんながありますね。あのレールが。あのところで、それ、あの、まあ、寸前で止まって向こうへ転落するばかりのところに、向こうからもやってきたのと一緒に自動車同士がこんなになって、もう間一髪衝突しておっただろう。衝突しとったらそのショックで向こうへひっくりかえってしもうておっただろうというような危ないところをです、それこそ生神金光大神様親先生で助かったという御届けが東京に帰って早速先生が今度の信心ち、こういう実習をさせて頂いたというてまあ、あらたかな神様の働きを感じておったのですけれども、いよいよ論文に取り組んだらそれがなかなか思うようにならなかった。そこで、親への願いという事になった。親が改まって一心にお縋がりするようになったら、ただただ不思議と言わなければおられないほどしの働きを受けておかげで論文が通過した。
ね。そして、こちらに参ります時に、この体半身にこれは、その、何か私は病名は聞かなかったのですけれども、もう、これは一生治らんと言われておるその何か病気を持っておった。お医者さんにやらせて頂いた事が、それが、全治しておった。これは枯れ木に花ばいといわしゃった。そして医者にそう言われて帰ってきたらです、お母さんが、今度のおかげはそれこそ枯れ木に花の咲くおかげばいと言わっしゃったから、もう、大変不思議でたまらなかったとここでお礼に来ていっております。
神様のおかげを働きを本当に働きを働きと実感させねばおかんという働きがやっぱ起こっておるわけですよね。そこからです、まあいうならばまだ若い方がです、ね、おかげを頂きまして東京からわざわざお礼参拝に出てきたわけでございます。まあ他におかげがずっと続いておるのですけれども、そういう例えば御願いをしておかげを頂くというのではなくて、改まっておかげを頂くというところに信心の喜びがあると私は思う。
おかげを頂いてあり難いお礼参拝しなければならない、これも、いいでしょう。けれどもね、今まで何十年間出来なかったことを改まっておかげを頂いた時の喜びというものは、おかげを頂いた喜びだけではない。自分でも改まることが出来たという喜びが教祖金光大神の御教えによって、自分が助かったというその喜びがです、御礼という事になってきた。ね。だからおかげを頂いて、はあ今度はお礼参拝をさせてもらわにゃできん。今度は大祭にはお礼の御大祭を奉仕させて頂かなければならない。その御用に当たらせてもらわなければならないということになってくるのです。同時にね、もう一つ最高のいわばあり難いというのがございます。今朝からも皆さんも聞いて頂きましたが、青天の霹靂という言葉を使って繰り返し皆さんにも聞いて頂いたんですけれども、ね、例えば今までは何でもないと思うておった。今までは当たり前のように思うておった。勿論、お礼なんかは言葉にも出らなかったものがです、御教えによってそれこそ、心の中に自分のね、昨日宮崎からお礼に出て参りました方なんかはとにかく洗面器二杯も喀血して、もういよいよ助からないというところを御導きを頂いてお参りをしてきた。それからおかげを頂いてもうとにかく、十五秒この、位、吐き続ける。そして、一分ばっかり四十五秒あまりは平生だと。だからその、その十五秒というのがもう恨めしい。もうその十五秒というその時間が恨めしいと思うておった。ね。ところがあるお医者さんがです、あんたにこの、十五秒が恨めしいかもしれないけれども、この四十五秒という平生な時があるではないか。もしこれが無かったらあなたはいつの昔に死んでしもうておるよと言われた時にです、もうそれこそ青天の霹靂もびっくりしただけなんです。そしてその、四十五秒に対して心からお礼を申し上げれるようになったら、それからね、すっきり、血が止まったというのです。ね。今まで気が付かなかった所のありがたさというものをです、御教えによって、これはね、だから今そう分かれと言うて分かったからおかげを頂くのじゃない。それこそ、青天の霹靂である。ね。それこそ、足元にです、ね、雷さんが落ちたようにびっくりするほどしに今までのおかげをおかげと感じたというところから金光大神のいわば信心のあり難い本命というものはそこにあるのです。
御願いをしたからおかげを頂いた。改まって願ったらおかげを頂いた。改まるありがたさおかげのありがたさ。それこそ枯れ木に花を咲くようなおかげを頂いてあり難いという事と同時にです、ね、今私共信心の稽古をさせて頂きながらそれこそ、青天の霹靂、それこそ今まで気が付かなかったおかげ、それこそ隠れておったおかげ。当たり前と思うておったおかげに、おかげをおかげと感じさせて頂いての信心にならせて頂いた時にもうその信心はゆるぎないという事になるのじゃないでしょうか。そこから頂けれるありがたさ、今日はそのあり難いの色々な面を聞いて頂きました。そういうあり難い心の状態がです、ね、金光大神を祭りをなされなければならなかったというところの金光大神祭りではなかったかと思うのでございます。我ながら自分の心が奉れれるほどしのいうならばありがたさというものを目指してからの信心でなからなければなりません。どうぞ一つおかげを頂きましてね、あり難いいわば勿体無い、ね、というてなら私共はねご神前に出たが最後願わなければならない事は一杯ですけれども、やはり芯になるものは、そうしたお礼である。そこに願いがあり、また、お詫びもなされなければなりませんが、また、そこに気が付かせて頂かなければなりませんがです、ね。
まあとにかく十月という月はそういう意味でね、お礼月と昔から言われるのでございますからいよいよそのお礼の心というものをです、もうあらゆるところから吸収して、そのありがたいを御本部参拝という事になり、十六日に奉仕させて頂くところの御大祭ともならなければならんと思うわけです。
どうぞ